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"感じて動く"ということ

書家・詩人相田みつをの言葉に、「感動とは感じて動くと書くんだなぁ」※1というものがあります。

英語でも「感動する」という動詞はbe movedと表現され、心の何かが動く実感を含意しています。日本固有の感動、「もののあはれ」を論じた本居宣長においては、「おかしき事うれしき事などは感く事浅し...」のように「感」の字を「うごく」と読ませています。つまり、感じてから動くのではなく、感じると即座に動くというのです。

それでは「感動」は、何を感じて、心がどう動き、どのような力や効果をもたらすのでしょうか?

感動は、体験としてはいかにも自明で、具体的であるにもかかわらず、その概念はとても多義的で曖昧なもので、筋立てて説明しづらいことの一つです。

感動体験は、ある対象を自分にとっての絶大なる肯定的な存在と認知評価したことで、情動的興奮から心身が動揺し、それが充満することで恍惚的快感に至る、一連の心の動きといえます。

まず感動する対象として、風景や芸術作品から直接に美や崇高さなどを認知して呼び起こされるものと、ある一定の文脈プロセスを通して生じるもののふたつがあります。さらに後者は、①自分自身にかかわる出来事に基づく主体からの経験によるもの、②映画、小説など創作された物語を通して喚起する客体からの経験によるもの、③イベント参加やスポーツ観戦などの、物語や創作物からではない出来事に自らかかわることで生じる、主/客体からの経験によるもの、に分けられます。

次に、感動した心が動く方向感は、生起した感情が他の感情に変化する水平的な移行ではなく、とくに美や愛などの同一な感情の激しい振動とされます。だから感動の動きは、この振幅の大きさとその加速度変化であり、それが飽和点に達すると「胸がいっぱい」になります。つまり、感動の強さである心的動揺が大きい場合は、他の感情を圧倒して際立つため、その体験が感動だと認識されるのでしょう。

感動体験の結果、心境が大きく変化し、当事者が常々抱えていた問題意識とかかわる新たな目標に気づかせ、それへ向かう行動を始発させます。まさに「感じて動く」のです。心理学では感動体験の効果を、①動機付け、②認知的枠組みの更新、③他者志向・対人受容、としています。こうした感動体験は特別な記憶として深く刻まれます。そして、想い起こすたびに内省することで精緻化され、かつ、先の効果を増強しながら、自己実現の歩みへと導くのです。

だから人は、しばしば感動体験をした人に共感したがり、著作を読んだり講演会に出かけたりします。あるいは、感動体験を得ようと「自分探し」の旅や芸術にふれたり、さまざまな修養体験をこころみたりもします。この感動したがる人たちのパワーは、あるシンクタンクの試算では「約五兆円/年」の市場規模だといいます。

"感じて動く"ということで、近年忘れられない社会現象は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興救済に寄せられた、多大かつ速やかな義援行動です。もちろん、これは今も持続して行われています。

この歴史的大災害は、多くの尊い犠牲を伴い、続いて起こった福島第一原発事故は、わが国の将来に大きな禍根を残しましたが、多くの人びとが、これまでの経済・社会のありかたを再考する大きなきっかけともなりました。

この年をあらわす漢字に"絆"が選ばれたように、今まであまり意識してこなかった身近な人とのつながり、地域や社会とのつながりの重要性に、改めて気づいた人は少なくないと思います。 また、この2011年にはブータン国王夫妻が国賓として来日され、ブータンがGDP以上に幸福(GNH)の追求を国づくりとしていることに、多くの日本人が共感しました。

生きることができる社会づくりへ"感じて動く"。それへ向かって、今日のわたしたちの社会の価値意識と行動様式、あるいはビジネスモデルも、急速に変わりはじめているのではないでしょうか。

※1「肩書きのない人生」(文化出版局刊)より