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感動を消費する社会(3)

劇場化する都市空間

 

次にそうした消費シーンが展開される生活空間について目を向けてみよう。

 

高度消費社会以降、90年代あたりから、日本の都市開発分野では、都市空間の劇場空間化というテーマをよく見聞きするようになる。ただしそれは劇場を中核においた都市開発のことではなく、都市に劇場の記号性を与えるという意味で、人びとを装わせ演技させるメディアとして都市空間をとらえて活用しようとする考え方である。

 

2000年代になり、バブル崩壊のほとぼりが冷めたあたりから、都市再開発の分野でこのフレーズが再び聞かれるようになってきた。

 

現在では、わざわざ都市記号論を援用するまでもなく、都心近在や地方の少女にとっての「竹下通り」や「渋谷」、オタク系にとっての「秋葉原」や「池袋」、女性や若者にとっての「東京ディズニーランド」や「六本木」「代官山」、高齢者にとっての「巣鴨地蔵通り」、といった街の意味合いを少し考えてみれば、都市空間の劇場化という見方は実感できるだろう。

 

この都市空間の劇場化というコンセプトの着想の背景に、テーマパーク、というよりも東京ディズニーランド(ディズニー・リゾート)の出現があった。

 

ディズニーランドは、それまでの単なる来園者を「ゲスト」として扱い、従業員は「キャスト」と称し、その空間環境を非日常的で祝祭的な舞台装置として造形演出する。さらに園内だけでなく周辺のホテルや商業施設も同様の環境演出等で巻き込みながら、一帯の都市空間を劇場空間化して非日常型消費を活発にする装置産業を創り出した。

 

こうした劇場的都市空間あるいは祝祭的都市空間の登場以降、人びとの間にそれを使いこなす生活感覚が増えはじめ、次第に非日常的雰囲気が日常空間に急激に滲み出るようになった。そこに都市開発や都市再生の手法としての有為性が見出されるようになったのである。

 

「舞台/劇場空間」の記号性を帯びた空間は、自然とそこを往来する人びとを"演技者"とし、かつ"批評性を備えた観客"にする。

 

見るだけでなく見られる場所。そこは「ファッションを売る場所」であるだけでなく、「ファッションを着ていく場所」となり、「ソフィスティケートを顕示し合う場所」へと変わっていく。

 

現代の都市生活者は、TPOにあわせて空間を選択する行動スタイルを持つようになっている。そして選択で色分けされた場所の意味合いは、よりセグメンテーションと先鋭化を強めていく。つまり、その場所に付与された記号性が自律的に意味を再生産し、より発信性を高めていく空間装置と化していくのである。

 

こうした "舞台/劇場空間"としての特権性を獲得した都市空間における人びとが演じるパフォーマンスについて、吉見俊哉は高度消費社会特有の意識状況を分析しながら、以下のように描き出している。

 

【そこでは〈演じる〉こと自体のなかで演じる者の個性が発見されていくのではなくすでにその意味を予定された「個性」を〈演じる〉ことによって確認していくという意味で、〈演じる〉ことはアリバイ的である。一方では、演じる主体としての「私」が個別化された私生活のなかに保護され、他方では、演じられる対象としての私の個性」が都市の提供する舞台装置や台本によって保証される、そうした二重の機制が、人びとの関係性を様々な生活場面で媒介していくために、人は、「個性」を選択することが個性的であることを証明し、「私の世界」をもつことが自己のアイデンティティを証明することでもあるかのように感覚していくのだ。】(「都市のドラマトゥルギ――東京・盛り場の社会史」弘文堂1987)