感動研究事始

感動体験の原型(1)

 

感動共有と"ハレ"空間

 

感動には個人的・主観的な価値として表出するものと、他人との快感覚の共有が可能なものがある。

 

前者では、より深いものでいうならば自己実現的な体験ともいうべき感動である。生き甲斐や充実感、あるいは自分を超越した事物への畏敬や一体感など、美意識・倫理・信条的な価値基準との照らし合わせから生じた感情を感受する体験で、他人とはなかなか共感し難いものがある。

 

対して後者は、身体的、知的、社会的な欲求を満足する共有体験や、追体験あるいは疑似体験などによる共感として生じる感動である。ここでは後者に焦点を絞り、そうした感動が発現する基本的なシステムについてみていこうと思う。

 

感動の源泉の一つとして、快感を生み出す報酬系という脳内システムがあることは前にふれたが、快感はモルヒネや覚せい剤といった向精神物質以外に、特に人の場合は情報刺激からも強い快感が誘発される。

 

もちろん芸術体験での感動はその典型だが、感動の集団体験として最もイメージし易い原初的なモデルは、儀礼や祭りといった"ハレの場"での、造形物、音楽、音響、照明、演技、舞踊、香りなどの感覚情報から誘発される変性意識状態、とりわけ、エクスタシー(Ecstasy)やトランス(trance)といった、恍惚、陶酔、忘我する強烈な快感体験だろう。

 

エクスタシーとは、「意識水準が低下して主体的な意志による行動の自由を失い、忘我状態となるか、苦悶、歓喜、憂愁などの気分を伴う恍惚状態になること。宗教における神秘的体験や、性的恍惚感も含む。(出典:世界大百科事典)」であり、トランスは、「意識の変容による異常精神状態をいう。催眠によって表面の意識が消失し、心の内部の自律的な思考や感情があらわれる場合や、ヒステリー、カタレプシーによる意識の消失、狐やその他の霊に憑かれたとされるとき、または外界との接触を絶つ宗教的修行による忘我・法悦状態などを指す。(出典:同上)」状態のことである。

 

だから、感動の古語「感ける(カマケル)」の活用語である「感けわざ」が、神に捧げる豊作祈願の踊りのことなのを思い返すと、祭り・神事で誘発されたエクスタシーやトランス体験のような、自分では理解できない神秘的な力に導かれもたらされる快楽の心の働きを、古人たちは「感動」としたのだろう。

 

あらゆる国、あらゆる民俗の祭りや神事の多くは、農作業や季節の区切りとして宗教的な意味合いの下に開催される。

 

文化人類学や宗教社会学などが教えるところでは、共同体における祝祭の機能を聖中心性、非日常性、共同性、周期性、儀事性としている。そして、ある周期で繰り返される宗教的な儀式・共同作業を通じて共同体をひとつにまとめることを特質とする。

 

祝祭の儀式や演出を通じて、人びとは普段意識して感ずることのない共同体への一体感や神話の再現などの超越感を持つ。神話の再現、儀事の一環として、カーニバルのような身分等の社会秩序からの一時的開放、または歌垣やデオニュソス祭のような性的オルギアを伴う祝祭は多く、日常では得られない開放感が体感される。

 

なぜ人間は祝祭を需要するのか。つまりそれは、日常の中に娯楽のない前近代社会では定期的な祝祭に向けて余剰なエネルギーや資源をぶつけ昇華(蕩尽)させる。それにより日々の暮らしの中に緊張の緩急がつき、また共同体全体に活力を与えられる、とするのが経済人類学の見解である。ブラジルのサンバ・カーニバルで一年間の蓄えを全て使い切り、来年のサンバ・カーニバルに向けて一年かけて貯蓄しなおす人びとが依然として多いことや、日本の諏訪の御柱祭りでも地元の人たちは次の開催に備え「御柱貯金」の風習があることなどは、その好例である。

 

このように、祭りや儀礼は強い快楽のるつぼであるとともに、日常→非日常→日常・・・を循環することで、共同体を結束する要として機能する。祝祭の構造をおさえながら感動(=強烈な快感)体験を誘起する要因をみていくことにする。

 

感動装置としての祭り

 

改めていえば、現代社会をコントロールする基本原理は法律だが、伝統的な社会では習わしや祭り・儀礼が共同体に秩序や結束をもたらし、円滑な社会運営に大きく機能している。

 

分野を越境する科学者でありパフォーマンス集団芸能山城組も主宰する大橋力氏は、日本や東南アジアの水神祭りの研究にシステム工学の考え方を導入し、祭りの運営組織と水の利権分配組織が縦糸と横糸のように交叉構成する祭り仲間という結束の仕組みに、一帯地域の水争いを抑制しているメカニズムがあることを見つけた。その中核をなすのが「神々と祭り」で、神々への畏敬の念と人びとに陶酔的な快感をもたらす祭り空間がアメとムチとなって、人心をコントロールする共同体秩序の制御システムとダイナミズムに富んだ社会運営を、持続的に生み支えている働きを明らかにしたのである。

 

その上で大橋たちは、祭りを構成するさまざまなコンテンツや仕掛けから生じる感覚情報が、祭人たちに恍惚、陶酔、忘我といった強烈な快感体験を誘起することにも注目した。

 

祭司や祭り演者に負荷を与えない無線による脳波や内分泌系の計測を行なったところ、トランス状態になった人は、脳波と血中の生理活性物質が特異なほど活性していることが分かった。快の指標である脳波α波が劇的に増加すると同時に、ドーパミンやβエンドルフィンといった、いわゆる「脳内麻薬」が血中へ大量放出されることが確認されたのである。

 

それでは、祭り空間でこうした快感を誘起する感覚刺激の情報パターンには、どのようなものがあるのだろうか。そこで、快感誘起する感覚情報を拾い出してみることにする。

 

"祭り"の目的は、俗界にある人間を聖なる高みへ昇らせることであり、それゆえ俗情を捨てさせて無私忘我の境地に至らせるところにある。そしてそれを構成する基本要素は、おおむね次のものである。

◆シナリオ → 習わしや掟

◆時 間 → 時季、夕刻、夜

◆空 間 → 祭 場

◆モノ → 祭具・祭人

ひとつめとなる"シナリオ"は、伝統的世界観を基礎づける聖典や神話を準拠枠に作られ伝承される因習・戒律、つまり"習わしや掟"であり、それがそのまま聖典や神話的世界の再現やそれらの追体験への没入を誘導する演出マニュアルともなっている。

 

次の"時間"は、その準拠枠に因んだ時日や異界としての夜、あるいは黄昏(逢魔ヶ時)のような曖昧な時間帯、いわば俗界が聖界に向けて満潮や上げ潮になる頃を設定し、聖俗境界を次第に不鮮明にしながら俗意識から分断するとともに、非俗的世界を出現させる。

 

 "空間"としては、俗界から地理的に離れるか結界するなどして聖俗空間の分離をはかる。あわせて"モノ"である祭具や装飾造形物、音楽、音響、照明、演技、舞踊、香りなどの感覚情報がポリフォニックに作動して一帯環境を変性させる演出が加わる。

 

要するに、通常感覚を遮断することで"ハレ"状況への没入を誘導するのである。すなわち、祭人たちを過度の錯乱や興奮状態へ陥らせ心身ストレスを高めることで、脳内代謝として脳内麻薬の分泌を促進し恍惚、陶酔、忘我に至らせる。

 

アルコールやスパイス、麻薬といった向精神物質を除くと、この際、祭人たちにトランスやエクスタシー体験といった強烈な快感を誘う感覚情報としては、次のようなものがある。

 

なお、前回で取り上げた感動を誘う要素(血を騒がせるもの)を想起しながらみてもらえるとありがたい。

 

【視覚の快感誘起情報】

 

視覚に対する快感誘起情報パターンは、強い色彩のコントラスト、模様、原色、金属色や反射素材の使用、光の揺らぎ、光の点滅、暗転などである。

 

また、一帯環境を演出する造形物が醸し出す印象、あるいは錯視効果をもたらす形状や配置からの空間感覚の異様なども含む。

 

大橋は加えて、視覚刺激の重要要素に仮面を挙げている。仮面はデザイン表現に先の視覚刺激要素をまとわせながら、動物行動学でいう"威嚇の表情"をとる場合が少なくないという。

 

威嚇のディスプレイは、身体をできる限り大きく見せ、目と歯をむき出しにし、人やサルならば顔に血を昇らせて真っ赤になる。動物行動学では、威嚇の表情は怒りと恐怖が釣り合った情動の状態と解釈する。

 

大橋によると、アジア・太平洋圏では地域を問わず多くの場合に、祭りのクライマックスなると威嚇表情の獅子や鬼の仮面が登場するという。

 

怒りと恐怖は、その対象が"闘争か逃走か(fight or flight)"のいずれの存在なのかの確定により識別される原初的情動である。以前に取り上げた感情ロボット「WE-4RII」の心理モデルでは、この判断のために「確信-不確信」の軸を設けていることを思い返してもらいたい。

とすれば、威嚇表情の仮面は、アモルファスな心的状態を象徴して外在化したものであり、場をめくるめく錯乱空間として彩り綾なす造形や色・光の効果演出とともに、"感情を宙吊り状態"にして祭人たちの忘我を誘起する情報発信源の一つといえる。

 

【聴覚の快感誘起情報】

 

心拍や呼吸など生体には一定のリズムがある。聴覚に対する快感誘起要素として、生体リズムの変化を誘発する音のリズムがある。

 

たとえば、ディスコ・サウンドなど現代のダンサブルな音楽は16ビートであり、それは世界の祝祭芸能の多くにみられる。また、音楽の最も古いかたちを伝えているとされるアフリカン・ピグミーのポリフォニーも16ビートを基本とし、日本古典芸能の能にも16ビートの構造が確認できるという。16ビートのリズムには人の快感誘起要素として普遍性があるとみなせる。

 

音楽家の間では一般的に、ドラムの低音は、精神の高揚とともに人間が地に足をつける安心感を表現し、高音は、前進する気持ちとある種の苛立ちのような"煽り"の感覚を伴ない、高音の連打は人間の闘争心を高揚させるという。

 

また、音の快感誘起成分としては、人間の可聴域上限をこえる超高周波が注目されている。人の可聴域は15から20kHzだが、それを超えた超高周波成分を含んだ複雑変化する音が脳内の報酬系を活性化する、ハイパーソニック・エフェクト(Hypersonic Effect)という現象が知られている。

 

ハイパーソニック・エフェクトの効果として、脳の特定領野の血流増大、脳波α波の増強、免疫活性の上昇、ストレス性ホルモンの減少、音の快適な受容の誘起、音をより大きく聴く行動の誘導などが確認されている。

 

たとえば、独特な金属音が特徴のガムラン音楽や能楽器の能菅は100kHzの音成分を含み、コーラスや仏教儀式での声明なども瞬間的に50kHzに達するといわれる。他にも超高周波成分を含む音楽は、世界の伝統的な祝祭芸能にはよく見られるともいう。

 

これらが癒し音楽とされるのは、ハイパーソニック・エフェクトの影響が大きいためといわれる。

 

また、ポリフォニック・サウンドやビブラートなどにみられる周期・非周期振動の音の他"ゆらぎ構造の音(1/fゆらぎ)"も注目されており実験研究が続けられている。

 

【触覚の快感誘起情報】

 

ハイパーソニック・エフェクトは聴覚刺激だが、実のところ超高周波振動を感受しているのは、耳ではなく体表面であることが明らかになっている。また重低音のボディソニック効果なども、実際には触覚体感情報である。

 

ついで、祝祭パフォーマンスに特有の祭具や装束による身体への過剰な負荷という面も快感誘起要素として挙げることができる。

 

たとえば、祭りで用いる重厚な仮面・儀礼装束・装身祭具などは、往々にして激しい踊りや演技をするにしては身体の拘束性や負荷が大きい仕様であり、それにより引き起こされる過呼吸からの血中酸素濃度の急激低下などはトランス状態を誘起しやすく働く。

 

その他、触覚については、踊りなどでの肌の触れ合いや、熱気、人いきれ、といった祝祭空間ならではのアトモスフェアな体感情報があり、祭司や演者・踊り手などが状況を盛り上げてその場にいる者をことごとく、「引き込み誘導」で精神高揚を周囲に伝播するような働きもあるだろう。

 

【"場"自体の快感誘起情報】

 

祭りの時空間を感動メディア装置とみた場合、なぜそこに人は集まるのか、何をもとめて群れ集うのか。

 

人は群れ集うことに"快"を感じる本性を備えている。それはおそらく人間の社会的動物としての本能的衝動にもとづくのだろう。祭りや遊園地、デパート、コンサート会場などの集客空間、群衆の溜まり場の人ごみや雑踏にもまれた後、人は興奮の余韻や心地よい疲労感に包まれる。

 

また、バーゲン会場や展示会の混雑の場合では、欲しかったモノや情報を獲得する充実があるだろうし、異性や限定品をゲットする期待による興奮もあるだろうが、大勢の人間の間にもみくちゃにされ、緊張し、興奮と眩暈におそわれた際の軽いエクスタシーをもとめる。いいかえれば、"その場の雰囲気に酔う快感"があり、それをもとめて、あるいは他人に遅れまいと競って、そうした時空間に参入しようとする衝動も確かにあるようだ。

 

人が群れ集うことに必ず興奮や陶酔感がともなうのは、そこに日常生活からは得られない特異な経験を得るべく、われを忘れてその時空間へ一心不乱に完全没入する快楽を得たい、とする欲求があるからのようにも思える。

 

* * *

 

次回は、感動体験の原型その2として、個人的・主観的な感動体験の極みである「至高体験(Peak experience)」についてふれてみようと思う。

(・・・・to be continued

感動を誘うもの(1)

 

感動の時空間

 

感動の意義は、生に対して肯定的な情動が経験される頻度や強度によって表され、そのベクトル方向は幸福感の充足にある。いいかえれば、生活全般の満足感、あるいは、個人がみずからの「生」全体をどのくらい肯定的で好ましいものであるかが納得できるかにある。

 

それを脳科学は"知性・情緒・意識という人間の精神活動を肯定的に結ぶもの"とし"種の生存のための活路探索"と解釈するが、進化生物学や生理学では所与の環境に最良に適応する生物反応(あるいはそのための能力)という角度からとらえようとする。

 

この方面からの研究では、たとえば、九州大学の綿貫茂喜教授(生理人類学)による「生理反応による感性科学研究」というテーマが基礎研究として知られている。

 

同大芸術工学研究院が所有する、気圧、酸素濃度、気温、湿度、光の照度と色温度、香り、擬似的無重量などの環境因子を自在に変化操作できる環境適応研究実験室を使って、さまざまな感覚刺激を被験者に与えて、その脳波や神経関連の電位、自律神経系、内分泌系や免疫系などといった生理反応の様子を検討していくことで、環境適応の視点から人の感動・感性事象の生理的特性を研究している。

 

また、金沢工業大学には感動デザイン工学研究所(所長神宮英夫教授)があり、その名が示す通り、人が感動するメカニズムを科学的に検証し、人に感動をもたらす製品(感動プロダクト)の研究開発することを目的に、高臨場体験シアターや脳活動を計測する光トポグラフィーをはじめとした最新研究実験設備で、感動を工学的にとらえて応用するための研究開発を行なっている。こうした状況については、また、別の機会に紹介したい。

 

ところで、具体的に人はどのような状況や環境下でどのような印象を感受して感動をするのか。あるいはどのような状況でいかなる感動が誘発されるのだろうか。まずはこのあたりをみていくことにする。

 

以前に「感動」を言葉のニュアンスの広がりから整理したNHK放送技術研究所による感動分類表を紹介したが、さしあたってそれにならってみる(第六回参照)。

 

この感動分類表では、まず、感動を受容(受け止めるもの)と表出(感情表出したもの)とし、さらに表出を感情の正・負(及び中立)に分けた3つに大別する。感情の正・負とは、脳科学でいう"種の生存のための活路探索"、すなわち自己のおかれてある状況がプラスであるかマイナスであるかということである。また、そのいずれともつかない瞬間的な情動事象での印象を「中立」としておき、正・負の感動と緩やかに分離してある。

 

次に受容→「受容」、正の感情表出→「魅了」「興奮」「歓喜」、負(及び中立)の感情表出→「覚醒」「悲痛」と感動のニュアンスを6つのカテゴリーに区分して位置づけ、さらにその下位に12に分けた印象群をクラスとしてぶら下げている。

 

とりあえず、感動分類の基本的な6カテゴリーそれぞれの感動について、それと対応する感動体験のリアルな時空間としてどのようなものが当てはまるかを思いつくままに列挙し、以下に叩き台として示す。

 

受容感動の時空間

主体が状況や環境などに受け入れられたことを自覚してわき起こる感動で、「心にしみる」「心温まる」「胸がいっぱいになる」のクラスからなる。

 

思い当たるのは、状況や他者と打ち解けた場合である。または旅情、旅のロマンによる感動体験。さらに時間の旅ということで、郷愁や追憶にふける情感体験も含まれるだろう。

 

魅了感動の時空間

主体が憧れたり、畏敬する対象とかかわることから生じる感動で、「心を奪われる」「胸をうつ」のクラスからなる。

 

コンサート体験、芸術文化の鑑賞体験、ブライダル体験、上流・高級体験などが該当し、稀少な事物や人物との交流体験なども含んでいいだろう。

 

興奮感動と歓喜感動の時空間

前者は「興奮する」、後者は「心がおどる」「歓喜する」のクラスからなり、ともに主体が望む状況への参加、参観、遭遇などを通した、身心の高揚や熱中による感動である。強いて分けるならば、「興奮感動」は生理的な高揚性に比重を置き、「歓喜感動」は心理的高揚性に比重を置いたものとなろうか。

 

祭り、フェスティバル体験、コンサート体験、プロバガンダ・マスゲーム、スポーツ観戦、ギャンブル体験、絶叫マシーン体験、遊園地、テーマパーク体験などが該当し、エクスタシー刺激や非日常性が伴う。

 

覚醒感動の時空間

主体が驚愕、予想外の事態と遭遇した際に生ずる深く心に刻まれる感動で、「目が覚める」「心をわしづかみにする」のクラスからなる。

 

その多くが、演出構成上の工夫やハプニングなどによる印象深い体験である。博物館のハンズオン型展示、お化け屋敷や舞台技術の効果演出ギミックなど、あるいはドラマツルギー(作劇術)的テクニックやシステムなどが該当する。また、ホスピタリティのような人的ファクターからの感動体験も含まれよう。

 

悲痛感動の時空間

文字通り、主体が深い悲しみにおちいった場合や、それを思い出したり償う気持ちなどから生じる、いわば負の感動である。

 

状況や環境としては、葬式や祈念式典などのセレモニー、葬祭施設、宗教施設、霊園や霊場の空間。および、戦跡や事故現場跡などの負の記憶にまつわる場所が含まれる。また、悲しみの緊張から解放され余韻にひたるなど、癒しやカタルシス(精神浄化)として正の感動に転ずる作用もとどめておく必要があるだろう。

 

感動を誘う要素

 

次にこうしたことへ向けて人の感情・情動を激しく突き動かすもの、言い換えれば「血を騒がせるもの」にはなにがあるのか。これも正・負の感情の両方についてアトランダムにひろってみることにする。

 

【正の感動を呼び起こすもの】

◆美しいもの、◆楽しいもの、◆新鮮なもの・生々しいもの、◆存在や意味が強いもの、◆輝くもの、◆豪華なもの、◆活発に動くもの、◆魅力的なもの、◆劇的なもの、◆壮観なもの、◆興奮するもの、◆神秘的なもの、◆不可解なもの、◆暗示的なもの、◆謎なもの、◆驚異なもの、◆大胆なもの、◆最高・稀少なもの、◆崇高・超越的なもの、◆変化するもの、◆色彩的なもの、◆眩暈するもの、◆エキゾチックなもの  など。

 

【負の感動を呼び起こすもの】

◆抑圧的なもの、◆不愉快なもの、◆不満足なもの、◆恐怖や苦痛を与えるもの、◆奇怪なもの、醜いもの、◆悲しいもの、◆絶望・退廃的なもの、◆調子はずれなもの、◆場違いなもの、◆軽蔑するもの、◆単調なもの、◆親密感のわかないもの、◆一貫せず不調和なもの、◆不安定なもの、◆危険なもの、◆得体が知れないもの、◆不明瞭なもの  など。

 

これらのエレメントを状況場面化、物語化へ展開し、感情・情動を強く働かせやすいと思われる演出素材についても、あわせて考えてみると、正の感情・情動へ誘導しやすい演出テーマ要素としては、

◆異国・異郷テーマ、◆未知に対するテーマ、◆隠れたもの・隠されたものに対するテーマ、◆はるかなるものに対するテーマ、◆理想とするものに対するテーマ、◆神秘的なもの・言葉で語れないものに対するテーマ、◆夢や空想と現実の混交に対するテーマ 

 

――などがあり、これらを集約すれば、「ロマン」という一語に、また、共通する基本要素として「希望」、「愛」、「未知」のカテゴリーでくくれそうだ。

 

とすれば負の感情・情動にとっては、単純に反対のコンセプトがあてはまる。たとえば艱難辛苦の現実・現世としての「リアル」。サブカテゴリーとしては「不安・嫌悪(グロテスク)」、「白け(マンネリ)」、「苦痛」あたりだろうか。

 

ここでは感動を誘う要素を正・負の二分法で列挙したが、これはあくまで要素ピックアップのための便宜的なもので、感情が基本感情だけでなく混合感情として表出されるように、実際の感動もこれらが二項対立に存立するのではなく複雑な複合体として立ち現われるのである。 

 

そのため、感動をビジネスなどで実用化する場合には、こうした誘発要素や印象効果を高めるための何らかの作為技術が必要になってくるのである。

 

* * *

 

次回はこうした諸要素の構成体であり、人の感情を強烈に動揺する空間環境の代表的なものとして、「祭り」を題材に感動時空間の基本的な仕組みをみていこうと思う。

(・・・・to be continued

感動の源泉 special(2)

 感動のポジション

 

これまでの産業価値観はもっぱら性能、信頼性、価格にもとづく、どちらかといえばハードウェアが先行しがちなモノづくりだったが、グローバル化や成熟社会化などの構造変化の中で、引き続き活力ある発展をしていくためには、それだけではない新しい着眼からの価値創造が求められている。マーケットにおける「経験経済」もそのひとつだろうが、21世紀のプロダクツにおける重要なキーワードのひとつとして「感性」が脚光を浴びている。この新しい価値創造へ向けて 感性工学をはじめ、文理融合の超域体制で「感性」を資源化するための研究開発が活発で、経済産業省がその振興策として「感性価値創造イニシアチブ」を打ち出し旗振りするなど、今のところビジネストレンドは感性価値の時代のうねりの真っただ中にある。

 

感動価値創造や感動市場といった「感動ビジネス」に対する関心も、こうした時代トレンドに棹さしたものであるのはもちろん言うまでもない。

 

というわけで、今回は感動をはじめ、感覚、感情・情動、気分などといった感性領域を構成する用語(概念)類をいったん整理し、その上で「感動」という感性が感性領域の概念空間でどのようなポジションにあるかを改めてみておくことにする。

 

「感性工学への招待」(森北出版刊)の中で、信州大学の坂本弘教授(感性工学)は"感性の哲学"の項目を受け持ち、感性領域を構成する基本的な諸概念を次の方法で整理している。

    1. 感性領域の言葉は多義的に解釈されやすいものが多いので、感性=感受性と仮定する。
    2. 外界刺激など最初の入力に始まり、感覚から知性にいたる感受情報の流れの道筋を想定し、それを進めていく。
    3. .この道筋の中で感受性が、どこでどのような意味をもつかを記していく。

まずはこの方法にしたがって作られた感性領域のマッピングフロー図を以下に示してから、それぞれの感性(=感受性)についてみていくことにする。

 

  kansoken09110401.jpg

 【感性領域のマッピングフロー(坂本弘教授の作成図を一部改変)

一見して分かるように、外界からの感性情報入力に対する反応・表現という出力の質的高まり(深まり)の度合いを序列においた概念群の整理の仕方である。つまり単純な感性から複雑な感性への遷移をみる、感性をハマチからブリ(最終は"トドの詰まり"の"トド")にいたる出世魚の成長見取り図のようにとらえていくやり方である。

 

ただし上図について、元図で「感性」の言葉をおいている場所に「感動」を位置づける改変をした。感性工学の立場では「感性」をsensitivity(感受性)ではなく、Kanseiとそのまま表記することで新たに定義を付与すべき特別な感受性の概念としているが、「感動」もそうしたコアをなす感受性の一つの様相であると判断し、感性領域の概念空間上では同じようなポジションにあるものとした。

 

このマッピングフローにしたがって、各個についてふれていく。

 

【「感覚」の感受性】

「感覚」は、外界からの刺激を視・聴・嗅・味・触の五感覚で受容した際の、浅い印象である。ともなう判断基準としては、暑い・寒い、硬い・柔らかい、明るい・暗い、といった外界刺激の生理基準による生体反応と、2カッコいい・カッコ悪いといった、社会生活価値判断にもとづく生活基準による「第一印象(Fast impression)」のような印象反応、の2つからなる。

 

【「感情」の感受性】

「感情」は、一般に喜怒哀楽とされるが、心理学では、喜び、驚き、恐れ、悲しみ、怒り、嫌悪、を基本6感情とし、多くの場合、これらが混合感情となって表出されるものとする。

 

また、冬の風景に寒々しさだけでなく物悲しさを感じたり、その曇天に一筋の光があらわれた瞬間に喜びを感じたり、といったように、感覚は感情により輻輳して色づけされた印象を備える。つまり、感情は五感で得た感覚情報を統合するだけでなく、観念的、文化的価値基準や個性の価値基準が加わることで、主体―客体間を認識して複雑な情報や、それを原理とした行動などを出力する。

 

【「気分」の感受性】

「気分」は、価値基準である「観念」とともに、感覚情報を統合し色分けする「感情」に微弱で持続的に振幅変調をもたらすものである。感情を自覚する方向性を示すと同時に、感情の興奮度合いも示す。

 

【「感動」の感受性】

「感動」は、語義では"深く物に感じて心を動かすこと"だがその衝撃強度から、感性としては"メタな感情の感受性"とみる。いいかえれば、ある感情を意識(自覚)し内省へ向ける感受性である。 一見、同義反復のようだが、体験した感動事象でわき起こった感情に複合する観念を介することをきっかけに自問や自省が深まる。その深度の度合いで主体にとってよい感動となる。感動は想像、知性の高次化を方向づけ、よってときには発見や発明、創造をもたらす。

前回に「感動」という言葉を"人間の感性の内、世界と自己に覚醒と活性をもたらすもの"などと妙に構えた言い方でとらえたが、こうしてみるとあまり過言でもなさそうである。

 

また、演劇俳優からビジネスの世界へ転向し感動プロデューサを名乗る平野秀典氏は、演劇の「感動」創造をビジネスに活かした「ドラマティックマーケティング」の実践を通して、これまでの顧客満足ではなく、顧客に感動を提供するビジネスにパラダイム変換することが収益力を著しくアップさせると主張し「感動力」が必要だと説く。その上で 著書感動力(ゴマブックス)において、感情の段階を経験則的に、

怒り<不満<満足<感動<感激<感謝

の6段階であるとしている。

 

確かに"顧客満足(Customer Satisfaction)から顧客感動(Customer Delight)へ"をスローガンとする企業やビジネス本の多くは、これに類した価値基準にもとづいているようだ。感動を自己啓発や人材教育、営業戦略への実践応用に考えていく際には、こうした尺度は参考になるのかも知れない。

* * *

次回は話を戻して、具体的な事物と感動をめぐる話題に移ることとにする。

(・・・・to be continued