ホーム 感動ラボ 感動ラボ 感動のチカラ "共に感じる"ということ

なぜ、他人の「感動」に「共感」したがるのか?

共感コミュニケーションの広がりとその限界は?

ひところ、対人関係能力を高める「こころの知能指数(EQ能力)」ということがよくいわれました。EQ理論でもっとも大切なのは共感能力だといいます。たしかに相手の心理状態は、共感しないことには推し量れません。

国語辞書で共感は「人の考えや主張に、自分もまったく同じように感ずること。また、その感情。同感」とあります。

共感には、さまざまな定義がありますが、同情とは違うものとされています。共感も同情も、相手の感情状態を自分も同様に感じる体験ですが、同情は原則的に相手の悲しみとか、苦しみなどのネガティブな感情を含んでいます。英語で、共感は"sympathy"や"empathy"がそれにあたりますが、同情は"sympathy"とも"compassion"ともいいます。このニュアンスの違いをここでは深追いしませんが、一般に共感といった場合、相手が悲しんでいる時に自分も悲しくなるのは、共感とも同情ともいえますが、相手が喜んでいる時に自分も嬉しくなるとすれば、これは共感といっても同情とはいいません。

生物進化の立場から心の発生と遷移を考える進化心理学には、「社会脳仮説」というものがあります。人間の持つ高度な知的能力は複雑な社会的環境への適応として進化した、とする説です。人の脳は霊長類最大で、たとえばチンパンジーの脳の三倍強の容積ですが、それは群れ社会の中で他者の感情という、最も複雑なものを読み取り合ってきたからだといいます。

「社会脳仮説」は「マキャベリ的知性仮説」とも呼ばれ、群れ社会での権謀術数の駆け引き能力が個体の有利な適応度に影響を与えた、と語られたりもするので、利己的なニュアンスで受け取られやすいのですが、親が子を捨て身で守るように、生物は個体単位では必ずしも利己的にふるまうわけではありません。

より高度な他者感情の読み取り能力「感情移入」では、人間が最も秀でていることも、認知科学の研究で明らかになっており、人間は「利己と利他のベストミックス」戦略からの自己利益最大化によって心を進化させてきた、とする見方がいまのところ優勢なようです。

また、大脳の大きさと霊長類の集団の大きさとの相関も興味深く、大脳が大きいほど集団も大きいそうです。チンパンジーの大きな集団は60頭ほどの群れといわれてます。霊長類は普通、集団をまとめるためにグルーミングをし合いますが、群れの構成員同士の良好な関係が維持できるのは、60頭程度だというのです。集団規模と霊長類の大脳容積の相関を計算すると、人間は150人が基本集団になるそうで、この規模が、平均的な人間同士が集団の構成員を認識し感情を把握し合える限界を示すことも、発達心理学から明らかにされています。

一方、文化人類学の研究から、狩猟採集民が組織だって動く最大人員はおおよそこの規模で、近代軍の中隊の基本単位も同様なのだそうです。また、会社など事業組織もこのあたりの規模を超え始めると、管理構造が必要になるとされます。

グルーミングは一対一のふれあいですから、人間の場合、150人相手にグルーミングし続けていては、他に何も出来ないので非効率です。そのため、一度に複数の相手とグルーミング関係を結ぶ必要から、言語が発生したという説もあります。これはそのまま、メディアの発達にもつながることで、この発達が共感の輪を拡げ、集団規模をより大きくし、さらに他の集団との交易や交流、あるいは衝突を繰り返しながら、文明を築いてきたのかも知れません。

今日の爛熟市場におけるコモディティ対策のひとつとして、「共感の種」で顧客の心の中のシェア獲得をねらう、マインドシェア戦略がよく話題に上りますが、「共感の種」とは自分と他者とのwin‐winの信頼を築くための種ですから、この場合も、個の「共感範囲の限界」を頭の隅に置きつつ、「利己と利他のベストミックス」から発想していくことが、有効な戦略づくりの第一歩となるのでしょう。